大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和55年(あ)2053号 決定

国籍

韓国(全羅南道霊巖郡鶴山面特川里三九四番地)

住居

岐阜県羽島市竹鼻町二六八番地

会社役員

金福文

一九二九年一〇月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五五年一一月一〇日名古屋高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人大野悦男、同水谷博昭の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木下忠良 裁判官 栗本一夫 裁判官  野宜慶 裁判官 宮崎梧一)

○昭和五五年(あ)第二〇五三号

上告趣意書

被告人 金福文

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、次の通りである。

昭和五六年一月二四日

弁護人 大野悦男

同 水谷博昭

最高裁判所 御中

第一、原判決には次に述べる如く判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、それ故原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると考える(刑事訴訟法第四一一条第三号)。以下その理由を述べる。

一、弁護人は特定の銀行預金入金日を取りあげてみた場合に、当座預金入金口数より仮名預金入金口数が上まわっている事例については、当該仮名預金の全てを被告人のパチンコ店の売上除外金と認定するいかなる合理的な根拠も見出し得ないから、結局当該仮名預金部分については売上除外金以外の性質の金銭が混入して来ていると判断せざるをえず、このことから判断して特定の一日に複数口入金がある仮名預金部分は売上除外金以外の金銭が混入している可能性が極めて強く、従って売上除外金の特定が不可能だから、少くともこの部分は被告人の昭和四六年度の売上金計算から除外されるべきだと原審で主張した。

これに対して原判決は結論に於て弁護人の主張をことごとく排斥しているのであるが、その根拠が極めて曖昧不明確である。

二、即ち原審は弁護人が指適した仮名預金入金口数が当座預金入金のそれを上まわる事例のことごとくが被告人の売上除外金に外ならないというのであれば何故その様な事態が発生したのか、個々の仮名預金入金が何月何日の売上除外金なのかを証拠に基づいて論述すべきであるのに全くこれを為さず、ただいたずらに一審判決の事実認定が正当であるとか(なお、一審判決は何故弁護人指摘の如き矛盾が発生してもかまわないかに付いては何の説明もしていない)弁護人提出の証拠が措信し得ないと言うのみなのである。これでは到底被告人を納得させる合理的な判決とは言い難い。

三、そこで右の論点に関する関係証拠を再度検討してみるに

(イ) 原判決は佐々木治夫、高木良三、永田和夫、檜山善造、各証人の証言は被告人からの借入金額や、元本利息の返済金額、それらの発生日時の特定が不十分でありそれらの証言内容を裏付ける約束手形借用書が存在しないことや、被告人の貸付金は昭和四六年七月までに殆んど回収したとする供述調書に対比してみると全く信用できないとする。

しかしながら、かかる貸借関係発生時から一〇年近くも経過した時点での証言であることを考えれば、証言内容が多少曖昧になることや、約束手形等の書面が逸失してしまっていることはむしろ当然のことであり、右証人らの証言を措信しえないとする原審の採証姿勢は著しく不公平であると言わざるを得ない。

(ロ) 原審岩平証人は、査察段階で被告人の主張を取り入れ金一〇〇万円以上の仮名預金入金部分は売上除外金以外の性質を有する金銭の入金として予め除外して売上除外金を計算してあると証言しているが、仮に貸付利息金が仮名預金に混入しているとすれば、例えば金一〇〇〇万円の元本に対する月三分の利息金は金三〇万円、金五〇〇万円に対するそれは金一五万円という金額になることからして、金一〇〇万円以上の入金部分を単純に除外しただけでは、売上除外金以外の性質の入金部分を完全に排除したとは到底見なし得ないこと明らかである。

なお、被告人は捜査段階では確かに売上除外金以外の性質の入金で仮名預金口座に入金したのは一〇〇万円以上の金額に限ると供述してはいるが、当時の被告人の収入源が複雑であったことや、経理に関する書類を全て国税局に押収された状態で取調べに応じていたこと等を考え合せると被告人の右供述部分は不正確であると言わざるを得ない。

結局、被告人は捜査段階から貸金利息の仮名預金への混入を一定の限度で主張し、国の担当者もその主張を認めていたのであるから、この局面での主要な問題は金一〇〇万円以下の金額の利息金や元本が混入していたか否かということになる。

(ハ) 岩平証人は、これら貸付利息金は、もし有ったとすれば、岐阜相互銀行羽島支店の被告人名義の普通預金口座に入金されているはずだと証言しているが、証拠に提出された右口座元帳のコピーを見ると全て拾円単位又は百円まで端数の付いた金額ばかりであり、被告人の前記貸付金が数十万円乃至一〇〇〇万円単位であり、従って、その利息は一〇〇〇円単位未満の端数が発生しなかったと考えられることや、右普通預金口座入金額が比較的少額なものであることと対比して考えると、岩平証言は事実を誤認したか無理にこじつけたものであり、事実は被告人が供述する如く、景品用タバコのバックマージンや各パチンコ店舗で販売された飲料水の利益金が右口座にまとめて入金されていたものと見なすのが合理的である。

(ニ) 岩平証人は、弁護人が原審控訴趣意書及び原審昭和五四年五月二一日付意見陳述書中で指摘した当座預金入金口数より仮名預金口数の方が多い事例の内

昭和四六年一月四日分

同 年二月二二日分

同 年二月二四日分

同 年五月一日分

同 年八月一六日分

同 年一〇月七日分

について全て穂積モナコの売上除外金が混入したものであると説明する。

しかしながら、穂積モナコは規模の小さな店であり、業績も悪く昭和四八年頃に営業を廃止していることからもうかがえるように、売上除外金を作る余裕は全くなかったものであり、岩平証人の説明は合理的な説明のできない部分を全て穂積店の売上除外金であるとこじつけている。

なお、穂積モナコの売上除外金入金用として、内藤正一名義の仮名預金口座が岐阜商工信用組合羽島支店に設けられていたのであるが、穂積モナコが利益としての売上除外金を作る余裕がなかったために、昭和四五年三月頃以降、あまり利用されることもなく放置されていた。

岩平証人は、右の仮名預金口座は宇治モナコ用のものであったと思われると述べているが、宇治モナコ用のものは南京都信用金庫黄檗支店に別に設けられていたのであり、大体日々生ずる少額の宇治モナコの売上除外金が羽島までその都度運ばれ、前記口座に入金される事態は常識では考えられないことである。

また、岩平証人は昭和四七年度の卓上日誌の記載を根拠に穂積モナコは昭和四六年、四七年共に利益が発生していたというが、昭和四七年に入るとボーリングの資金需要が増加し、そのため被告人は売上除外金を作ることはやめており、従って、仮に卓上日誌から被告人の日々のパチンコ店売上金額を認定することができるとしても、その記載から利益額まで推認することは到底できないところである。

岩平証言は全く根拠がないと言わざるを得ない。

また、昭和四六年九月一六日分について岩平証人は、九月一三日の売上金が当座には九月一四日に入金され、仮名口座には九月一六日に入金されたもので、何らかの理由で当座入金日と仮名口座入金日がずれてしまったのだと説明する。しかしながら岐阜モナコ、羽島モナコの売上金は羽島事務所へ全額集められ、同所で当座入金分と仮名入金分が仕分けられるシステムになっていたのであるから、岩平証人が説明するような事態は全く起り得ないことである。

ニュー一宮センターについては、当座預金は現地の金融機関でなされ、除外金だけが羽島事務所に持ち込まれていた関係で、羽島持ち込み時間が遅れて銀行の集金人が帰ってしまったような場合は、当座入金日と仮名口座入金日がずれてしまう例が極まれにあったが、これはニュー一宮センターにだけ起り得る現象であって、羽島モナコ、岐阜モナコには絶対起り得ない事態なのである。

(ホ) 昭和四六年当時、岐阜相互銀行羽島支店に勤務して被告人の売上金の集金業務を担当していた堀次郎証人も、当時被告人から売上除外金とは異なる性格の現金を仮名口座に入金するよう依頼されたことがあり、また、被告人自身が直接店頭へ来てその種の金を仮口座に入金して行ったこともあるとして、被告人が貸付利息金等を仮名口座に入金していた事実をうかがわせる証言をしている。

四、以上に述べた諸事実を考慮すると弁護人が繰り返し主張している如く、昭和四六年一月一日から同年一一月二六日までの仮名普通口座中には、被告人のパチンコ営業の売上除外金以外の性質の金銭(貸付利息及び元本の一部返済金)が混入してきていることが明らかであり、しかも、売上除外金とそれ以外の性質を有する金銭の入金部分の選別ができない以上、仮名預金額の集計によって構成されている右期間中の被告人の営業利益は「疑わしきは被告人の利益」の原則に従って算定不足の結論が出されるべきだと考えるものである。

この点原判決は事実を誤認していると言わざるを得ず、右事実誤認は原審の被告人の昭和四六年度売上金認定全般にわたって多額の事実誤認をしている可能性につながるものであるが故に、著しく正義に反していると考えるものである。

第二、原判決には、更に次に述べる如く判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認及び法令違反があり、その結果原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると考えるものである(刑事訴訟法第四一一条第一号、第三号)。以下その理由を述べる。

一、弁護人は原審に於て、被告人が水田産業株式会社を設立した昭和四六年八月二三日以降は、被告人の従前からのパチンコ店四店舗の営業と水田産業株式会社の営業(ボーリング場一宮モナコ、尾西モナコ、及びこれらに併設された喫茶店の営業)を統一して把握し一個の営業利益を計算しないのは事実を誤認し所得税法の適用を誤るものであると主張したのに対して、原判決は弁護人の右主張を排斥した。

しかしながら、原判決のこの部分に関する事実認定は、被告人の行為意味を誤解し、その結果所得税法一二条の適用を誤ったものであると評価せざるを得ない。

二、被告人は確かに本件パチンコ四店舗の経理と、ボーリング場及びその余のパチンコ店喫茶店の経理を別立にしていた事は事実であるが、これは明白な意図的行為によって為されたものでは決してなくて、被告人の経験の未熟さと日常業務の多忙さの故と、被告人と経理士の連絡不足がもたらした事務処理上の単なるミスに過ぎない。

弁護人が原審で詳述した通り、被告人は一方で右の二本立経理を取りながら、他方では外部に対してボーリング場の開店披露パーティで従前のパチンコ四店舗を法人の経営であると紹介し、又、年賀状や暑中見舞は水田産業株式会社名で出し、その書状の中には法人の営業活動の内容として、従前のパチンコ四店舗を書き込んでいる。又、ボーリング場の経営悪化に伴い、被告人は従前からの蓄積利益や本件パチンコ四店舗の日々の営業利益を昭和五二年八月項までの間に合計一億九八九二万〇七〇〇円も注ぎ込む結果になっている。

又、例えば、一宮信用金庫神明津支店に尾西モナコ用の被告人の個人名義当座預金口座を開設し「尾西モナコレッドボックス水田健一」「水田健一」等の振出名義の小切手を振出して営業経費を支払い、更に昭和四七年一二月以降は従前のパチンコ四店舗に新たに開設した会社名義の一宮モナコ、尾西モナコ関係の売上金を加えた統一バランスシートを作成し、計パチンコ六店舗及び併設喫茶店の各店の利益を単一の数値に集計して、その営業成績を把握していた。

三、水田産業株式会社設立が昭和四六年八月二三日であり、ボーリング場開店は昭和四七年四月であり、ボーリングの斜陽化傾向は既にその設立準備段階から顕著に表われており、その一般的傾向どおり被告人のボーリング場はその開店と同時に莫大な赤字を排出し続けたから、被告人としては、まず何よりも赤字を排出し続ける法人に利益の出ている従前のパチンコ店の営業の全てを吸収して赤字を穴埋めし節税対策を立てるべきであったし、そうすることが通常人の常識である。

被告人には国税局の査察を受けるまでの間に右の措置を考慮するチャンスが少なくとも昭和四六年度の個人所得税申告時(昭和四七年三月)、昭和四六年度法人税申告時(昭和四七年一〇月)、昭和四七年度個人所得税申告時(昭和四八年三月)の三回はあったことになるが、被告人はその方向での配慮をほとんどすることなく前記のとおり新規のパチンコ店開設によって利益を生み出し倒産を回避しようと必死になった。

被告人のとった行動は正しく片手落ちであったと言わざるを得ない。

しかし、反面、被告人の右の幼稚な行動、配慮に欠けた行動によって、自分は脱税など考えていなかったし、そんな余裕もなかったとこの裁判で主張し続ける被告人の当時の姿が真実のものとして浮彫りされていると言わざるを得ない。

要するに、被告人としては、昭和四六年、四七年の所得税申告に際して、税の逋脱ということなどほとんど考えておらず、被告人が在日朝鮮人であり、同胞意識が強く、それゆえ、京都朝鮮人商工会に対して従前からの会費の納入と所得税の申告代行という付合を打ち切ることの気まずさと、そうした行動をとった場合に予想される将来の悪影響を考えて、半ば自動的に惰性的な行動として宇治税務署長に対する所得税申告行為を朝鮮人商工会にさせていたというのが実態なのである。

四、勿論弁護人は個人が個人名義で営業活動をする一方、それとは別に法人名義で別の営業活動をしている場合に、その両営業から生ずる利益や損失を常に単一のものとして評価せよと言っているのではない。右に指摘したように、被告人に於て個人経営と法人経営を明確に区分分離する意図がなく、経営の客観的実情に於ても両者の錯綜混合があり、しかも法人名義の経営部分が莫大な赤字経営におちいっている場合には例外的措置として利益損失の単一把握が為されるべきであると言うのである。

原判決は被告人の支配する営業を個人経営部分と法人経営部分とに分離して事実を認定することによって事実を誤認し、その結果所得税法一二条に違反する違法を犯しており、その結果は著しく正義に反するものになっていると考えるものである。

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